kushikoen’s diary

ようするに私について。

『MIU404』最終回を前に、伊吹が好きで気持ちが凪いでる

 最終回を迎えた後、私がどうなってしまうかわからないので、現状の感想をまとめます。

 『MIU404』は野木亜紀子をはじめとした『アンナチュラル』スタッフが制作するいわゆる刑事ものドラマですが、番宣を観た時、正直そこまでワクワクしませんでした。第一に、私が公権力に関心がないというのと、第二に綾野剛星野源のバディに惹かれなかった、ということがあげられます。前者はまあそれ以上でも以下でもないのですが、後者は、何と言いますか、二人ともストレートなハンサムではないというか、ストレートなハンサムと並ぶことで燦然と輝くタイプの顔面だと思うので、「福神漬けにらっきょう合わせてもな…」というような、食い合わせを考えるタイプの面食いにはさして響かなかったのです。

 ということで割とゆったりとした気持ちで見始めたのですが。

 

 二話を観た時、ヤバいなと思った。伊吹がヤバえ。ちょっと、困ったぞ、と思った。

 

 

 身の上話をします。さる五月、友人たちと「己のマブいスケ(男)」について語り合う会をしました。そこで私は、今石洋之の映画『プロメア』の主人公の一人ガロ・ティモスと、内藤泰弘のマンガ『トライガン』及び『トライガン・マキシマム』の主人公ヴァッシュ・ザ・スタンピードの二人について語りました。

 この発表は、私がドはまりしたコンテンツの主人公二人についてただ語るだけに見せて、ガロ・ティモスにしろヴァッシュ・ザ・スタンピードにしろ、「人を救う」を矜持にしている男で、だから私は彼らを愛しているのだ、という内容のものでした。

 ヴァッシュ・ザ・スタンピードはすさまじい額の懸賞金がかかっている凄腕のガンマンなのに「不殺」を己に課したラブ・アンド・ピースの男で(実際は不殺を課している「から」凄腕ガンマンになったのですが)、人が人を殺すこと、人の命が失われることをどこまでも恐れて、そうならないように、自分を傷つけてでもその究極の瞬間を避けようとします。

 ガロ・ティモスは別エントリーのブログに詳細を書きましたが、自身の振るう差別にも無自覚なノリで生きる馬鹿にもみえますが、「宇宙一の火消し馬鹿」を名乗る彼の信条は「人を救って炎を消す」で、彼もまた、人を救うことを己の軸にして生きている男です。

 ということで、私が好きになる男の傾向として「人を救うを矜持にしている」という要素があげられることがこの五月に明らかになりました。

 

 伊吹。伊吹よ。伊吹藍よ。

 

 お前は、私が愛することを宿命づけられている男じゃないのか?

 

 どうしても愛してしまう男じゃあ、ないのか?

 

 だってお前、追いかけていた容疑者が人を殺してしまったことに対して、心底心を痛めていたよな。しかも伊吹のそれには「人が死んでしまうのが悲しい」という人間コミュニティでほとんど当たり前になっている倫理観をもとにしたニュアンスよりも、「あなたが人を殺してしまうのが悲しい」みたいな、たった今引き金を引いてしまった人間への慈しみのほうが強いよな。人が人を殺す前に、間に合わせたかったけど、間に合わなかった。それが悲しい。

 

 それと、『MIU404』は全体として「間に合わせる」がテーマになってますよね。誰に会って、誰に会わなかったか、そういうものの連鎖の結果、究極の決断をするしかなくなる……その前に、間に合わせる。人が人を殺す前に、人が人を傷つける前に、何が何でも間に合わせるぞ、ということに必死になれる人間たちの姿が描かれています。

 ここで再び身の上話というか、私の過去の『プロメア』についての感想ツイートを引用します。ちなみに『プロメア』は、なんやかんや地球が爆発しそうになってるのをなんとか止めようと主人公ガロをはじめバーニング・レスキューの面々が奮闘する姿が描かれております。

アイナがエリスを拾った後に言う「間に合った!」って台詞が好きなのですよ。 あれは文脈に添えば飛び降りのタイミングに「間に合った」ことを意味する台詞なんでしょうが、でもあの物語で彼らが行なっていたことを「間に合わせること」と換言すれば、全体を象徴しうる良き台詞になると思うのです。

https://twitter.com/ctfSRuKvk1q34SH/status/1178505193463267328?s=20

はい。

このままでは地球が滅びる、という状況で、彼らは明確な策などないけれどもそれでも滅亡を止めようと一所懸命に、己のなすべきことをしていて…。 レミーもいいですよね、「間に合わなかったか」なんて言いながらその声に絶望の色はなく。間に合ったと思っていたし、ダメなら次の策を練ろうとする声。

 https://twitter.com/ctfSRuKvk1q34SH/status/1178505381154177026?s=20

ふむふむ。

 ルル子は死ぬその時まで生きようとしますが、それと同じく彼らは間に合わなくなるその時まで間に合わせようとそこに全てを賭けるのだろうな、と。特にバーニングレスキューには逡巡がない。問答無用で、何とかするために最善を尽くす。馬鹿な矜持に見えたらそれまで、でも私には格好良くて仕方ない。

 https://twitter.com/ctfSRuKvk1q34SH/status/1178505492806557696?s=20

はあ。

  駄目だ……四機捜の面々……好きになる以外の選択肢が残されてねえ……。

 

 ということで、まず二話で伊吹に情緒を乱され、回を重ねるごとに伊吹だけではなく志摩、桔梗隊長、というか四機捜に情緒を乱され、コリャ放送が終わるころには人生がめちゃくちゃになってんだろうナ……と思っておりました。なので三話の段階で友人たちには『カードキャプターさくら』のクロウ・リードよろしく詫びを入れておきました。「これから『MIU404』で人生がめちゃくちゃになった「わたし」がご迷惑をおかけすると思いますけれど…」。米津玄師の『感電』のyoutubeリンクも送りました。

 さて最終回を目前に控えた私ですが、びっくりするほど穏やかな気持ちです。普段ははまった作品の最終回前は、「最終回を迎えるために、私には何ができる…?」と思案するのに一週間捧げてアレコレするのですが、このブログ以外になにもしておりません。凪。完全なる、凪。

 

 クロウ・リードの予測は外れたわけなのですが、それはなぜかというとですね。

 あまりにも私と伊吹が違う人間だから、です。

 あの男を見ていると、心底私は至らぬ人間だなと、思わされてしまうのです。

 

 ガロ・ティモスとヴァッシュ・ザ・スタンピードについての私の発表の後、友人たちの一人に言われたのは、

「君が『人を救うが矜持』の男に惹かれるのは、君自身とかけ離れているからではないのかい?」

というあまりにクリティカルな批判でした。否定……出来ん! しかしそれを否定できなくてもまだどこかで心の余裕がありました。「まあ、でも『プロメア』の舞台も『トライガン』の舞台も、フィクティブな世界だし……」私が生きる世界とはまた違ったタイプの異常な世界で、けれども人を慈しむ心はなくさないようにネ……。その世界なりの振る舞い方はあるけれども、大事なことはどこでも共通していているね、そういう理解で留めておけたのです。

 しかし、伊吹が生きる世界は、よ。

 私が生きてるのとクリソツなクッソみてえな世界じゃねえかよ。

 え? この掃き溜めみたいな世界で、なのに魔法もスコシフシギな力もないのに「人を救う」を矜持にできるの? しかも、ただラブ・アンド・ピースを叫ぶみたいな方法じゃなく、地にも法にも足ついた方法で? こちとらマラキオンを牛乳瓶に匙いっぱい盛る以外に愛を訴える方法を知らないのですが……。

 飲み屋で管を巻く以外の方法で愛を語ってこなかった人類としては、公の力のもとで人を救おうとする男に対して、どんな気持ちでいればよいのか見当つかないのです。野田彩子のマンガ『ダブル』第十三幕の解像度は馬鹿に上がった気はしている(2020年9月3日現在全話無料公開中あっとhttps://viewer.heros-web.com/episode/10834108156738054369)。

 

 私にはなれっこない存在、それがフィクションの住人でありながら、私と同じ世界に生きている。すげえ好きなんだけど、好きっていうのも憚られる。「じゃあ私は? どうやって生きている」って問われる。本当は誰も問いかけてきていないと思うけど、でもせめて自分で自分に問わねばならない。 

 生きている伊吹がどんな道に進んで行くのか、私にはわからないけれども、元気でいてほしいなあ。勝手かもしれないけれど。

 もうなにも言うことがない。ひとまずメロンパンをスーパーマーケットで買いました。見切り品のカゴに入ってたやつ。明日はそれを食べつつ観ます。